人新世の「資本論」

おすすめ本

はじめに

 2021年2月現在、米国のバイデン大統領誕生を受けて気候変動への対策の気運が高まっている様に感じます。最近良く耳にするSGDsでも、地球温暖化の抑制をはじめとして、持続可能な社会の構築に向けた行動指針が数多く示されています。このように世界レベルで気候変動対策が進められている様に感じる中で、次のような刺激的な一節が出てきました。

「SDGsは大衆のアヘンだ!」

 この一節が登場する今回ご紹介したい本は、大阪市立大学大学院経済学研究科の准教授で、マルクス研究界最高峰の賞であるドイッチャー記念章を、歴代最年少で受賞した斎藤幸平さんの「人新世の『資本論』」(2020)です。

 著者は、「個人レベルの温暖化対策をして、無意味な満足感を抱くのは危険だ! 政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで気候変動は止められない」と述べており、それは「気候変動の原因が資本主義の経済成長そのものにあるから」だとしています。

本著の概要
気候変動の原因となった資本主義について、マルクスの「資本論」を参照しながら「人新世」における資本と社会と自然の絡み合いを分析していく本。

※「人新世」:人類が地球を破壊し尽くす時代
※「資本論」:19世紀にカール・マルクスによって書かれた資本主義の問題点を示した書籍

本著の結論
晩年のマルクスの到達点が「脱成長コミュニズム」であり、それこそが「人新世」の危機を乗り越えるための最善の道。

※「脱成長コミュニズム」:経済成長を目指さず、共同体の定常型経済を構築することを目指す考え方

 この様に示されると、何やら壮大で難しそうな話に聞こえてしまうかもしれません。私も初めはその様に感じていましたが、読み進める中で我々の生活に直接関連するような知見もふんだんに含まれていることに気がつきました。たとえば次の文章はとても印象的でした。

毎朝満員電車に詰め込まれ、コンビニ弁当やカップめんをPCの前で食べながら、連日長時間働き、そのストレスをオンラインショッピングや高濃度のアルコールで解消する生活

本著 第六章 GDPとは異なる「ラディカルな潤沢さ」より引用

 豊かさを目指しているはずの資本主義ですが、現代の私たちの生活を振り返ってみると、この様に豊かさとはかけ離れた現状があるのではないでしょうか。そんな生活と決別するためのアイデアを本著は与えてくれます。

 もちろんマルクスの「資本論」がベースになっているおり、難しい部分もありますが、難解な部分は省いて個人レベルで学びとなりそうな部分をまとめたので目を通していただけますと幸いです。

第1章 気候変動と先進国のライフスタイル

第1章の目的
「資本主義のグローバル化」と「環境危機の関係性」を理解すること

 まず初めに知っておきたいのは「グローバル・サウス」についてです。

グローバルサウスとは
 グローバル化(資本主義の急成長)によって被害を受ける領域とその住民のこと

 例えば、イギリスのBP社が引き起こしたメキシコ湾原油流出事故、多国籍アグリビジネスが乱開発を進めるアマゾン熱帯雨林での火災、商船三井が運航する貨物船のモーリシャス沖重油流出事故など、先進国での豊かな生活の裏ではこれらの悲劇が繰り返されていました。

 そしてこれらの出来事は不運な「災害」ではなく、国や企業がコストカットを優先して、対策を蔑ろにしてきた結果の「人災」です。

 このグローバルサウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた、大量消費・大量生産の先進国のライフスタイル「帝国的生活様式」と呼ばれています。問題なのは、収奪や代償のグローバルサウスへの転嫁なしには帝国的生活様式が維持できないことです。

 そして現代の「人新世」では、この地球環境の搾取が限界まできたと指摘されています。

 その最たる例こそ、今まさに進行している気候変動です。外部の消尽が行き着くところまできた今、日本のスーパー台風やオーストラリアの山火事など、その被害が先進国でも可視化されるようになっています。

第2章 緑の経済対策

 1章では経済成長が気候変動危機の原因だとしており、それがグローバルサウスへの転嫁の元で成り立っていると述べてきました。では世間で良く言われている「太陽光発電で二酸化炭素の排出を無くそう。電気自動車を普及させよう。」といったいわゆる「緑の経済政策」ではだめなのでしょうか?

結論
 緑の経済政策だけでは環境危機の防止に間に合わず、同時に脱成長も必要

 環境学者のロック・ストロームは「緑の経済成長」で気温上昇が1.5℃未満が達成できると思っていたが、2019年の論文で「経済成長」と「気温上昇1.5℃未満」がトレードオフ(どちらか一方しか選択できない状態)になったことを認めているとのことです。研究者の意見も、ここ数年で転換しているのはそれだけ切迫した状況をデータが示しているということでしょう。

 まず指摘されているのは、CO2排出を緩やかにする程度のものではもう間に合わない。 CO2の排出をゼロにする対策が必要(電気自動車や飛行機出張の代わりのTV会議、太陽光発電への転換)ということです。さらにロック・ストロームは、CO2の排出をゼロにする対策は、資本主義の経済成長の下では不可能と指摘しています。経済成長という前提の下では、地球の限界が先に来てしまうということです。

 これは、経済成長が順調な時点で(緑であっても)経済活動の規模が大きくなるので、資源消費が増えることに起因しています。家庭用太陽光パネルが廉価になって浮いたお金で、人々は飛行機に乗って旅に出るかもしれないし、EV車が普及したらモビリティが向上して消費が増加するかもしれないと言った副次的な内容にまで目を向けなければならないということです。

 まとめると「緑の経済対策」にはメリットもあり、もちろん必要だが、資本主義の経済成長が環境問題の原因である以上はそれだけでは不十分で、「脱成長」の考え方も取り入れなければならない、ということになります。

第3章 脱成長とは?

 「脱成長」と聞くと貧しい生活を強いられるのでは?といった感想をお持ちになる人も多いと思います。これに対して著者は次のような印象的なフレーズを投げかけています。

 資本主義がすでにこれほど発展しているのに、先進国で暮らす大多数の人々が依然として「貧しい」のは、おかしくないだろうか。
 家賃、携帯電話代、交通費と飲み会代を払ったら、給料はあっという間になくなる。必死に、食費、服代や交際費を切り詰める。それでも生活を維持するギリギリの低賃金で、学生ローンや住宅ローンを抱えて、毎日真面目に働いている。これこそ、清貧でなくて何なのか。
 いったいあとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになるのだろうか。

本著 第3章 「なぜ貧しさは続くのか?」より引用

 経済成長にこれほどの不条理が伴うのにも関わらず、脱成長が受け入れられないのには日本特有の理由も存在すると言います。高度経済成長の恩恵を受けてあとは逃げ切るだけの団塊世代の人々が、脱成長という「綺麗事」を吹聴しているというイメージが強い、という主張です。若いころに経済成長の果実を享受しておきながら、一線を退いたそのときから「このままゆっくり日本経済は衰退していけばいい」と言い始めたということです。

 こうして日本では、「脱成長vs経済成長」という対立が、経済的に恵まれた団塊世代と困窮する氷河期世代との対立へと矮小化されてしまいました。その対立の中で気候変動問題の視点が欠けてしまっていることが日本特有の問題として警鐘を鳴らされています。これは世界的に見れば環境意識が高いはずの若い世代が、上述した日本固有の構造により、脱成長は旧世代の理論だという固定観念を抱いている傾向にあるためです。

 一方で米国などでは若者の環境意識が高いことが挙げられます。本著で紹介されていた、米国人が資本主義と社会主義のどちらに肯定的かという調査では、年代が若いほど資本主義よりも社会主義に肯定的という結果が得られています。驚くべきことに、18-29歳(2018年時点)では資本主義肯定派の方が少ない結果となっています。

 ここで注意点として「日本の長期停滞」や「コロナ禍の景気後退」と「脱成長」と混同してはいけないということです。脱成長は次のように、GDPに必ずしも反映されない、人々の繁栄や生活の質に重きを置くことを目的としています。

第4章 欠乏の資本主義

 3章では脱成長がどの様なもので、日本や世界でどの様に捉えられているかを見てきました。ここではさらに踏み込んで資本主義の問題点と資本主義にとって代わる共同体に関して紹介します。

結論
私たちは十分に生産していないから貧しいのではなく、資本主義が希少性を本質とするから貧しい。資本主義の経済成長から脱却し、脱成長とコミュニズムを組み合わせる必要がある。

 資本主義では、住宅ローンなどの負債による「貨幣の希少性」が長時間労働を招いていると指摘されています。そして長時間労働は「本来必要ではないモノの過剰生産」につながり環境を破壊することにつながることも同時に問題視されています。

 また「希少性」は消費の次元にも見られます。人々を無限の消費に駆り立てるひとつの方法が、ブランド化です。かなり攻めた言い方ですが、広告はロゴやブランドイメージに特別な意味を付与し、人々に必要のないものに本来の価値以上の値段をつけて買わせようとすると言います。

 「使用価値」として考えればフェラーリも中古車も大した違いはありません。ですが、自分より良いものを持っている人はインスタグラムを開けばいくらでもいるし、買ったものもすぐに新モデルの発売によって古びてしまいます。人々は理想の姿・夢・憧れを得ようと、モノを絶えず購入するために労働へと駆り立てられ、また消費する。その過程に終わりがないことは現代の私たちが体感している通りかと思います。

 しかも、ブランド化や広告にかかるコストは非常に大きいことが指摘されています。商品価格に占めるパッケージングの費用は10~40%といわれており、化粧品の場合、商品そのものの3倍の費用をかけている場合もあるそうです。そして、魅力的なパッケージ・デザインのために、大量のプラスチックが使い捨てられています。ここでも、商品そのものの「使用価値」は、なにも変わりません。

 以上のような資本主義の問題点を踏まえ、代替としてコミュニズム(=共同体)が提案されています。難しいので割愛しますが、共同体は、人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理するという、経済成長をしない循環型の定常型経済(権力関係が発生しないので持続可能)のことを表しています。

第5章 脱成長コミュニズムが世界を救う

 ここでは今までの総括として、脱成長コミュニズムをどう実現させるのかについてご紹介します。本著では以下の5つの柱が掲げられています。

 最後に筆者は、この本の結論である脱成長コミュニズムについて以下の様にまとめています。

 晩年のマルクスが提唱していたのは、生産を「使用価値」重視のものに切り替え、無駄な「価値」の創出につながる生産を減らして、労働時間を短縮することであった。労働者の創造性を奪う分業も減らしていく。それと同時に進めるべきなのが、生産過程の民主化だ。労働者は、生産にまつわる意思決定を民主的に行う。意思決定に時間がかかっても構わない。また社会にとって有用で、環境負荷の低いエッセンシャル・ワークの社会的評価を高めていくべきである。
 その結果は経済の減速である。(中略)しかし利潤最大化と経済成長を無限に追い求める資本主義では、地球環境は守れない。(中略)そのうえ人工的希少性によって、資本主義は多くの人々を困窮させるだけである。

本著 第7章 「脱成長コミュニズムが物質代謝の亀裂を修復する」より

感想

 本書の主張にあるように「脱成長」で資本主義と真っ向から立ち向かうと聞くと、資本主義にどっぷりと浸かった現代人にはそんなこと無理なんじゃないかと思ってしまうかもしれません。ですが読み進めると「自分が買おうとしているものってどんな価値があるんだっけ?」「今の長時間労働のままの多忙な生活を続けていて良いのだろうか?」といった個人レベルでも考えなくてはならないことが随所に見られました。資本主義に立ち向かうという思想自体、馴染みが薄いのでそれだけでも新しい視座を与えてくれる有意義な一冊だと思います。
 最後に掲げられた5つの柱を見るとなかなか壮大ですが、「使用価値経済への転換」などは取り組みやすいと思います。今回紹介した内容自体はかなり掻い摘んでいて、著者の主張をダイレクトに反映できていないと思いますが、自身の生活の豊かさを見直すきっかけにしていただけますと幸いです。そしてもし興味をお持ちいただけましたら是非本書を手に取ってみてください!

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